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エリツィン前大統領が死去
ソ連末期のゴルバチョフ政権下で共産党体制に反旗を翻し、旧ソ連解体を主導、新生ロシアの改革を推進したボリス・エリツィン前ロシア大統領が23日午後3時45分(日本時間同8時45分)、心不全のためモスクワ市内の病院で死去した。76歳。ロシア大統領府が明らかにした。
8年半の大統領在任中は欧米との関係改善を進め、冷戦を最終的に終結。ロシアの民主化を進めるなど歴史的な役割を果たす一方、1993年の旧議会砲撃、94-96年のチェチェン紛争では強権色を鮮明にした功罪相半ばした政治家でもあった。任期末期には健康も悪化、政治混迷を招いた。後任にはプーチン大統領を指名した。
対日関係では97年のクラスノヤルスクでの橋本龍太郎元首相との日ロ首脳会談で、2000年までの日ロ平和条約締結に向け全力を尽くすことで合意するなど、両国関係の歴史に大きな足跡を残した。しかし条約締結は最終的に実現せず、自伝の中では北方領土返還の意思はなかったと明言していた。
2期目の任期途中での辞任後も、核大国ロシアの初代大統領として一定の影響力保持に意欲的だったが、後継指名したプーチン大統領が「強いロシア」復権を掲げて独自の権力基盤を固め、2003年10月にウォロシン大統領府長官、04年2月にカシヤノフ首相を解任するなど親エリツィン派を排除。政治の表舞台からは遠ざけられており、今後のロシアの政治体制に大きな影響はないとみられる。
1991年6月のロシア共和国大統領選で圧勝。同年8月の保守派クーデター事件では戦車の上から市民に抵抗を訴え、改革派の旗手として英雄的存在となった。その後同年12月のソ連解体で中心的役割を果たした。
外交では西側との協調路線を維持しつつ、米国の一極支配に対抗する多極化外交を目指した。96年11月の心臓バイパス手術後は入退院を繰り返し、健康不安が絶えなかった。
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